とにかく物事に意味を付ける

浮き沈みが激しい人の特徴として、やはり一番にあげられるのが、これである。
 
「とにかく物事に意味を付ける」
 
色々パターンや重度などもあると思うが、なんとなく適当に列挙してみました。

1.この物事は一般的に良いことなのか悪いことなのかをいちいち判断する
2.この物事は自分にとって良かったか悪かったかをいちいち判断する
3.物事に意味を付けいてるという事をそもそもわかっていない
4.物事に意味を付けているという事はわかっているが、
  意味を付けている瞬間にそれを捉えれていない
5.結果はどうあれ、物事は自分にとって良い方向に違いないと意味をつけている
6.何とか頑張って物事に意味は無いという意味を付けようとして呪文のように唱えている(だけ)
7.物事に意味は無いから、起こったことをあるがままに受け入れようとする行動
 
7はよく言われており、あるがままに受け入れましょうみたいなのが流行っているが、
「あるがままに受け入れようとする行動」はおそらく効果をなさない。
それは結局のところ6と同じであり、救われるためにお経を読むのと何ら変わらない。
 
前提条件として、

・幸せになりたいからそうする
・自分が幸せでないからそうする
・何とか今の境遇を脱出したいからそうする

 
である場合はおそらく厳しいと思われる。
ではどうすればいいのだろうか?
 
それは、
自己の心理システムがいったいどうなっているのか?という興味であり、それに対して起こす実際の自己観察である。
この興味が無い人は色々とかなり難しいと思う。
 
幸せになりたい!、ではなく、
 
幸せとは幸せという感覚が起こっている時に、より具体的に自己に何が起こっている事なのか、是非観察して解き明かしてみたい!!!
という、この好奇心の姿勢である。

一般的に、自己を観察する事はとてもむずかしいことであり、
自分を傷つけてしまう事だと思われている(実際には全然違います)
なので、多くの人は「幸せになりたいのに、なぜ自分が傷つくことをしないといけないのか」
こうなってしまいます。
これを乗り越える事ができるのは、
 
・もうこれしか後がない人
・単純に好奇心や知識欲でやりたいだけなので自分が傷つくとかどうでもいい人
 
ということになります。
で、この自己観察がきちんとできるようになれば、
おそらくこのような事がわかるはずである
(これは言葉にすれば意味付けになってしまいます。)
 
なんだ、幸せっていうのは、たったこれだけの事だったんだ。一般的に言われている幸せというものは完全に嘘っぱちじゃないか。幸せを求める必要も、否定する必要も無いな。幸せも、不幸せも、ただ自己に起こっている単なる反応でしかないじゃないか。
 
しかし、ここで上手くいかない多くの人はこう思うかもしれません。
 
そんなことわかりたくない。もっと夢を見ていたいです